a&p in L.A.!!



21日(金)

待ちあわせたメンバーを見てビックリ。揃いも揃ってリュックひとつとか、スポーツバッグひとつだったからだ。「それが10日間のアメリカへ向かう格好なのか?!」と思いつつも空港へ。そしてさっそく磯山くん止められる。予想どおりの展開に、あきれる。
長い飛行機の旅から開放され、岡田くん運転のもと、レンタカーでモーテルへ。スペイン訛りの聞き取りにくい英語を話すお兄ちゃんを相手に部屋代のディスカウントに成功。
その後イン&アウト・バーガー(カリフォルニアにしか存在しない老舗のがんこ(笑)バーガー屋)で初の食事。永井くんは頼んでもいないポテトが出てくるわ、私はひとり持ち帰り用の袋で出てくるわで、モーテルのお兄ちゃんの英語が聞き取れなかったのは自分たちの語学力の問題だったことが判明。
その後、ギターセンターを中心にメンバーの楽器屋巡り。観光客の顔からミュージシャンの顔に変わる瞬間。楽しそう…。
その足でタワーレコードに向かってアメリカのドライブを満喫するためのカセットテープを物色。タワーレコードのお兄ちゃんと岡田くんが着ていたスーパースナッズ(日本のガールズ・ガレージ・バンド)のTシャツの話しで盛り上がった後、帰り際「Bye kids ! 」と言われて全員固まる。
そういえば、日本を発つ前に「俺達、Hey boy ! とか言われるんじゃない?」などと話していたのだが「KIDS」になるとは思わなかった。いったい幾つに見えたんだろうか?  特に英くん
ブック・ショップで地図を買い込んだ後、メルローズ・アヴェニューまで出る。ここの通りは日本で言う原宿の竹下通りみたいな感じ。若者たちで賑わう中、磯山くんランシド(アメリカのパンク・バンド)のベンチを発見し「やっぱL.A.は違うなー」と、座り込んでもちろん記念撮影。
夜になってタコス屋さんで夕食。私だけ注文が通じず、違うものが次から次へと出てくるので、メンバーの失笑をかう。最後にアーロン・レコードに寄って、初日は終了。明日に備えてゆっくりお休み。

ギターセンター

チープトリックの手形に嬉しそうな観光客

楽器屋めぐりは楽しい



22日(土)

岡田くん集合時間に遅れる。罰として車の運転担当。
知人に教えてもらった楽器屋へ向かうが閉まっていたため、今日もメルローズ・アヴェニューへ。みんなして買物に勤しむ。ちなみに英くんは”赤い女”をゲット!! 嬉しそうだー。
そろそろお腹が空いてきた。そしてL.A.は必要以上に暑い、というか熱い。この痛いような日差しを避けて、チャイニーズ・カフェで食事をすることに。しかし、半端じゃなく量が多い。これでもか! これでもか!! というくらい盛り付ける。「え?!」と思った後にもまだ容器に詰め込む。もう「え?!」じゃなくて「ゲッ!!」って感じ。でもこれが美味いんだ。でもって安いんだ(5ドルくらい)。頼んだものの3分の2ぐらいを残して退散。負けた。
その後、岡田くんはシルバーレイクにあるスペースランドというライブハウスへ、そして他の3人は英くん運転の車で湖に釣り場を探しに二手に分かれる。岡田くんはお目当てのフラッシュ・キューブス('70年代にたった2枚のシングルしか残していない伝説の(?)パワー・ポップ・バンド)のライブを堪能。ここで日本から一人で来ていたヒガシ君(クラブワンダー主催者)に会う。彼も岡田くん同様、音楽バカ(親しみを込めて)らしい。彼のテンションの高さと恐れを知らない行動ぶりはその後、語り継がれることになる。
その頃3人はジェットコースターよりも急な坂道を上ったり下ったりしながら湖周辺をドライブ。途中、ピカチューの縫いぐるみを棒で叩きまくっている集団に遭遇し、怖くなって帰ってきた。
そしてフラッシュ・キューブスのサインを貰うためにライブハウスの中を徘徊中の岡田くんと合流。それにしてもあの少量の荷物の中に釣竿まで用意してきた永井くんには脱帽だった。
シルバーレイク周辺で買物の後デニーズで食事。“知床鳥のみぞれ和え御膳”は無く、ハンバーガーやステーキをほおばる。しかし、やっぱり美味い、そして量が多い。99セントでサイドサラダが付くというので頼んだら、お皿に山盛り出てきた。おまけに磯山くんは”グラスホッパーなんちゃらかんちゃら(チョコミント味)”というシェイクをネーミングに興味を持ったという理由だけでオーダーするが、これまた馬鹿みたいな量が運ばれてくる。みんなで回し飲みをするが、一向に減る気配がない。仕方なく担当(何の担当?)の私が時間をかけて飲み干す。勝った!
日も落ちかけて、ライブハウスに向かうことになったが、身体中に廻ったグラスホッパーシェイクのせいでみるみる具合の悪くなった私はモーテルに置き去りにされる。やはり勝てなかった。
メンバーはGIGへ。パール・ハーバー('80年代に活躍したガール・シンガー。メンバーにとっては大好きなクラッシュのベース、ポール・シムノンの元彼女ってことでも凄い存在)のライブを見て盛り上がる。最高にカッコよかったらしい。その後レイ・ポール('70年代から活躍するおっさん)を見るために慌ててライブハウスのハシゴ。走る走る。なんとか間に合って見ることが出来たらしいが、なんとエミット・ローズ(アメリカのポール・マッカートニーと言われたソフト・ロック・ファン涙の人物)が飛び入りで岡田くん永井くんは親父っぷりに感激しつつもショックだったらしい。
ライブ終了後、もう真夜中だというのに、帰り際にサンタモニカビーチまで足を伸ばしたメンバー一行。かなり危険な地域に突入してしまったらしく、ビビって帰途につく。帰り道、マクドナルドのドライブスルーにチャレンジ、でも、マックはただのマックだったらしく、ちょっとガッカリしながら2日目終了。
そうそう、英くんは昼間ゲットした”赤い女”を部屋へ連れ込み、バスルームへ隔離。そして就寝。

ランシドのベンチを独占

知らない人と…
実は記念撮影の目的は彼女の着ているTシャツ

無数のビーチバレーのコート、圧巻

本物のサーファー

アメリカは驚くことばかりらしい

ポップなサーフボード



23日(日)

岡田くん集合時間に遅れる。罰として今日も運転手。
今日も朝から暑い。あと一歩でバカ殿になるくらいに日焼け止めを塗って出発。今日は海に行くのだ!
おっと、その前にドライブBGM用のカセットを求めてバージンメガストアタワーレコードへ。ランシドビーチボーイズストレイキャッツのベストを購入して、いざ海へGO!
おっとその前に、シェーキーズで食事。今日まで通じなかった「ミルク」がやっと通じて嬉しい私。牛乳をいっぱい飲んで、サーフィン・ミュージック発祥の地、ハンティントン・ビーチへ!
しかし海にたどり着く前に難関が待ち受けていた。初めてのフリーウェイ、ただでさえ左ハンドル&右側通行に馴れていないというのに、アメリカの車はすっごいスピードで走ってくる。岡田くん、ちょっとビビる。
フリーウェイにも馴れたころ、海が近づいてきた。海が見えた!ビーチだ!道も風も日差しもアメリカっぽい。水着のお姉ちゃんもいる。そして英くんはカメラを向ける。
ハンティントン・ビーチは通称サーフ・シティと呼ばれるサーファーのメッカ。そしてココにはサーフ・ミュージアムという小さな博物館があるはず。ホントにホントに小さな博物館で、なかなか見つからない。やっと通り掛かりのおじちゃんに情報をもらい、たどり着いた博物館はサーフィンの始まりからサーフ・ミュージックに関するあらゆるものが詰め込まれた宝箱みたいな所だった。5分ほどで廻れてしまうような小さな博物館だが、置いてあるもの全てがポップでキュートでついつい長居をしてしまう。言うまでもないが、最後までかじりついていたのは岡田くん
博物館を出た一行はビーチへ。沖まで張り出た棧橋のような道を景色を堪能しながらのんびり歩いて、ハンティントン・ビーチを後にする。
思ったよりも海からの帰り道に時間がかかってしまって、車の中で爆発寸前の岡田くん。急がなくちゃ、この後、岡田くんにとっての一大イベントが待っているんだから…。そう、ルビナーズだ、間に合わないか?
しかしアメリカは彼の味方だ、ギリギリでルビナーズに間に合う。岡田くん、大感激、大興奮! わざわざ日本から持参した当時の日本盤シングルにサインしてもらい、メンバーと写真を撮り、自分たちのCDも手渡したあげく、憧れのトミー・ダンバーのピックまでゲットして「君はピック・コレクターかい?」と笑われながらもご機嫌。見てるこっちが恥ずかしくなるくらいのミーハーぶり全開!
そして上機嫌のまま宿へ帰る。
そうそう報告するのを忘れていたが、バスルームに隔離した英くんの”赤い女”だが、これはトイズ・ショップで手に入れた、ゴムだか粘土だかで作られた女の人のヌードのオモチャ(赤い)。水に浸しておくと膨張して成長するという、日本でもたまに見るアレ。結局10センチくらいのオモチャは15センチぐらいにふやけただけだった。英くんはバスタブいっぱいに膨らんだ彼女を期待したらしいが、膨らんだのは英くんの想像だけで、残念ながら彼の夢は儚く散った。
さて、明日はとうとうライブだ。



サーフ・ミュージックの歴史

好きなものに囲まれて嬉しそう

アルバムを手にしたトミー・ダンバーと

I.P.O.出演者の面々、すごすぎる